三千世界の鴉
いつしか麻呂の世話係


 カラスとの同居は思いの外楽しい。

 仕事に行っている間は窓を少し開けて網戸にしておくと、カラスが自力で網戸を開けて出掛けている。最初に網戸は必ず閉めておくことを伝えたら、律儀にきっちり閉めているらしく、家に帰ってきて網戸が開いていたことはない。ただ、この先寒くなったらどうしようかと考える。防犯的にも不安はあるけど、大家さんが一階に常に居てくれるのは有難い。
 おまけに毎日駅に迎えに来てくれる忠カラスに、すっかり絆されてしまった。

 出会って数日後、寝る前のトイレにカラスが出掛けると、どこからか砂金らしきものを咥えて帰ってきた。
「カラスすごい! さすがカラス!」
 思いっきり褒めちぎったら、それはもう得意気に「かぁ」と鳴いた。烏は光り物が好きだというのは本当だった!
 それからカラスは毎日のように米粒ほどの歪な金の粒を持ち帰ってくる。小さな空き瓶に少しずつ溜まっていく鈍い金色の粒が密かに毎日の楽しみだ。

 カラスと一緒に過ごすようになってわかったのは、私は寂しかったのだということ。
 家族と離れ、自由で気ままな一人暮らしを満喫しているつもりで、自分でも気付かないうちに心のどこかで一人の寂しさに滅入っていたらしい。
 静まり返った部屋が嫌で、見ていようがなかろうが付けっぱなしにしていたテレビの電源が最近は消えていることの方が多い。
 私にとってカラスの存在は日に日に大きくなっていった。



 夏期休暇のお土産にと上司から貰った神宮の御神酒を飲んだカラスが、ぺらっと日本語を喋り出し、それはもうおったまげた。普通に話し始めたから、普通に答えて、あれ? と気付いたときには驚いてお尻が浮き、そのまま尻餅をついてひっくり返りそうになった。
 落ち着いてよく聞けば、これがまた艶のあるいい声で、光によって虹が浮かぶ漆黒の羽とよく合っている。イケメンボイスに毎日「おやすみ」と言われる至福。

 ならば大社の御神酒ならどうなるのかと、大いなる期待と隠し切れない下心から、秋の連休の初日に大社まで行って買ってきた御神酒を飲ませてみたら、瞬きする間に人の姿に変わった。
 艶めいた漆黒の代わりにそこに居たのは  

 衝撃の麻呂だった!

 どこからどう見ても引目鉤鼻に麻呂眉の麻呂だった。
 どこかの絵巻に紛れ込んでいそうなのっぺりとした平安顔。しかも小太り。お腹もぽっこり。
 どうだ! とばかりに素っ裸で仁王立ちしている元カラスの麻呂は、何故か艶めいた漆黒の烏帽子を被っていた。素っ裸に烏帽子。変態だ。開いた口がふさがらない。

 色々と期待していた自分が恥ずかしい。
 イケメンを期待していた自分を呪いたい。
 恋の予感を期待していた自分を穴に埋めたい。
 わざわざ島根まで行ってとんぼ返りしてきた自分が哀れで泣ける。

 しかもこの麻呂、人の姿になったところで体長はカラスと一緒だった。身長約五十センチメートル。小人と言うには大きすぎる微妙なサイズ。顔が白塗りじゃなかったことがせめてもの救いだ。
 ぽかんと開いた口がいつまでたってもふさがらない。

 とりあえず赤ちゃん用の服を買ってきて着せておいた。小太り平安顔にパステルブルーのロンパースが眩しい。調子に乗って着ぐるみタイプのロンパースも買ってきた。クマさんな麻呂が妙に可愛い。キモ可愛いとはまさにこのこと。

 体長五十センチメートルの麻呂はカラスと違ってよく食べた。私の1/3以下の大きさなのに、私の倍は食べる。一人暮らしの私の薄給では麻呂を養うことはできない。人型になった麻呂が、しばらくはカラスに戻れない、と言い放つ。姿を変えるにはそれなりの力が必要なのだとか。

 悩んだ末、ある程度溜まっていた砂金の中から大きめの粒をいくつか持って、週末に恐る恐る換金しに行ってみたら、なんとまあ、紛うことなき純金だった。ありがとうカラス!
 ただし、鑑定した人にこれは砂金ではありません、ときっぱり言われてしまった。砂金は不純物だらけなのだとか。おかげで「実は祖母の遺品なんです。不揃いな形なので砂金だとばかり思っていました」と嘘を吐く羽目になった。

 換金したお金は麻呂の食費とお酒とおつまみになり、浮かれたその日はスーパーの揚げ出し豆腐からデパ地下の揚げ出し豆腐にランクアップした。老舗料亭の揚げ出し豆腐は絶品で、互いに一口食べた途端、揃って高笑いした。次はお酒をランクアップさせようと、ちびいおっちゃんとにんまり笑い合う。



 その翌日、とある神社から麻呂のお迎えが来た。いかにもな黒塗りの高級車……ではなく大衆車で。
 驚いたのは私だけで、麻呂は「遅かったな」としれっと答えていた。どうやら迎えが来ることはわかっていたらしい。わかっていたくせに帰ろうとしないとはこれいかに。

 そのお迎えに来た人がまさに悲しげな表情がよく似合う存在感の薄いおじさまで、私が麻呂と呼んでいることを知ると、畏れ多いと悲痛な顔で懇々と説教されてしまったり。
 その際、麻呂の正式な名前を聞かされたものの、全く脳内にインプットされず、こっそり麻呂と呼び続けていたり。
 おじさまに対して随分と偉そうな麻呂が、再び麻呂と呼んでいるのがバレた時に「かまわん」と言ってくれたおかげで、おじさまは悲壮感を漂わせながらも渋々折れてくれたり。
 明日帰る、週末に帰る、月末には帰る、とまあ、のらりくらりと早朝から日参するおじさまを丸め込み、いつまで経っても帰ろうとしない麻呂に、ついにおじさまがキレて麻呂もろとも拉致られたり。

 まあ、色々あった。



 カラスと出会って一年後。

 私はとある神社の職員に転職した。とはいっても神職ではない。一言で言うなら麻呂のお世話係だ。ちなみにお給料はそれほど高くないが福利厚生はばっちりだ。週休二日に盆暮れのお休みもある。社宅は境内に隣接している、それはもう雅な日本家屋で家賃は無料。光熱費も無料。食費も無料。基本的に麻呂の相手と食事の用意をするだけの自由気ままな仕事だ。このご時世に素敵すぎる。

 ただ、どういうわけかこの神社に勤める人たちの影が薄い。おじさまの影が薄いから他の人も影が薄いのか。神職とは影が薄い人がなるものなのか。
 これまで見たことのある神社の人たちは物静かだったような気がする。神社なんてこれまで初詣くらいしか行ったことがなかったため、そんな気がするだけかもしれない。

 私の仕事は麻呂のお世話と健康管理だ。
 毎朝同じ時間にたたき起こし、ちゃんとご飯を食べさせ、嫌がる麻呂を宥めながら境内を午前と午後の二回、隈無くぐるりと散歩させる。この間に神社の人が雅な社宅の掃除や麻呂の服の洗濯をしてくれる。これは神職に就くもののお勤めらしい。ただし、私の部屋の掃除や洗濯は除く。さすがにそこは自分でする。

 朝ご飯を食べた後、麻呂と一緒に境内をゆっくり一周したあと、私は自分の部屋の掃除と洗濯を行う。その間、麻呂は脇息にもたれてうだうだ過ごしている。時々カラスになってどこかに飛んでいったりもしている。

 お昼ご飯を食べた後、麻呂は毎日小一時間ほど禊ぎをする。麻呂が言うには、垢擦りをされているらしい。そのおかげか麻呂からオヤジ臭はしない。特にいい香りもしないが。
 その間私はこの神社の歴史やら何やらを学んでいる。ちなみに八咫烏とは関係ないらしい。カラスの足は二本しかなかった。

 それが終わるとほぼ自由だ。近所のショッピングモールにアイスクリームを食べに行ったり、近くのカフェでまったり過ごしたり、とんでもなく自由だ。但しもれなく麻呂がついて来るうえに、私のおごりだ。

 夕方にもう一度麻呂と一緒に境内をゆっくり一周する。それなりに広い境内を体長五十センチメートルの麻呂がちょこちょこと歩くので、優に二時間はかかる。途中麻呂が何度も何度もショートカットしようとするのを、阻止するのが私の仕事だ。
 あまりにしつこいので一度好きにさせたら、どこからともなくおじさまが現れ、この散歩がいかに重要かを悲壮感たっぷりに懇々と言い聞かされた。
 ふと見れば、麻呂がおじさまの陰で鼻くそほじくりながら知らん顔をしている。むかついて速攻おじさまにチクってやった。今度はおじさまがそれはもう丁寧に丁寧に哀愁漂わせて麻呂を諭し始め、うんざりしている麻呂におじさまの陰から「ざまあ」と口パクしてやった。
 おじさまが真っ白なハンカチを袂から出し、鼻くそをほじっていた麻呂の指を悲しい顔で丁寧に拭いていたのが切なかった。麻呂の代わりに謝りたくなった。

 それでも懲りずに毎日ショートカットしようとする麻呂が面倒くさい。麻呂が歩くことに意味があるとあそこまで言われては、頑張って歩いてもらうしかない。それが私の仕事だ。お給料貰っているからにはきっちりきりきり歩いてもらおう。これだけ歩いているのに麻呂のお腹は一向に凹まない。不思議だ。



 畳の感触が気持ちよくて、つい週末のたびに畳の上でごろごろしてしまう。与えられている部屋でごろっと転がっていると、わざわざ麻呂が嫌味を言いに来る。毎週懲りずにご苦労なことだ。
「折角の休みなのに、そなたは出掛けもしないのか?」
 余計なお世話だ。麻呂は毎回同じセリフを飽きもせず繰り返す。もっとバリエーションを増やしてみろ。
「相手、してやろうか?」
 目を閉じて聞けばイケメンの艶ボイス。目を開けると麻呂眉のちびいおっちゃんの変態発言。悲しい。

 麻呂は声だけはいい。低くて艶のあるすごくいい声をしている。まったりと余裕のある話し方は気品すら漂う。本当に声だけは(・・・)すごくいい。
 だからこそイケメンじゃないかと期待したのだ。恋の予感にドキドキしたのだ。ふたを開けてみれば、麻呂眉のちびいおっちゃん……。



 仕方なく麻呂と一緒にいつものカフェでまったりしていると、今更ながら誰一人として、体長五十センチメートルの狩衣姿の麻呂に注目していないことに気付いた。むしろ私の方が驚かれている。というよりは不審がられている?
「ねえ、麻呂って回りにはどう見えてるの?」
「見えてない。見えているのはあの社の者とそなたくらいだ」
 このやりとりが見えてない。とすると……泣いてもいいだろうか。
 椅子の上で胸を張って偉そうにふんぞり返っている麻呂のお腹がぽよんと揺れた。土足で椅子の上に立っちゃダメだから。
「そういうことは早く言ってよ」
「そう言うなら早く訊け」
 麻呂の足から浅沓を脱がしながら、この会話も行動も、回りから見ると私の独り言や一人芝居に見えているのかと思うとかなり凹んだ。そりゃ驚かれるわ。完全にイっちゃってる人だ。今後二人での外出は控えよう。

 途中歩くのに疲れたと駄々をこねる麻呂を、溜息交じりに小脇に抱えて家に戻れば、またもや雅な平安装束が届いていた。
 一応麻呂は外出時はそれなりの格好をしている。ひな人形のような立派なものは嫌がり、大抵は狩衣を着ている。それすらも出掛けるときに渋々だ。烏帽子だけは欠かさない。
 普段麻呂が好んで着ているのはロンパースだ。この間買ってきた悪魔なロンパースが今一番のお気に入りらしい。背中に小さなコウモリの羽と悪魔的しっぽ、フードには小さな角が生えている。このフードを被るときにも麻呂は烏帽子を取らない。烏帽子の上から無理矢理フードを被っている。余程頭を見られたくないらしい。
「ハゲだから?」
「違う! 烏帽子は男の象徴だ!」
 お風呂に入るときは何故かカラスの姿になるので、烏帽子の下がどうなっているのかは未だに謎だ。多分ハゲているのだと思う。可哀想だからそっとしておこう。

 ちなみにこのロンパース姿もおじさまに毎回こっぴどく嘆かれている。一応麻呂は神様的存在らしい。この間のイチゴのロンパース姿を見たときには涙目になっていた。まあ確かに、全身でイチゴになったそこに、可愛らしい赤ちゃんの顔ではなく引目鉤鼻と麻呂眉が覗いていたら、ある意味涙目にもなる。赤ちゃんのぽっこりお腹ではなく、おっちゃんのぽっこりお腹に泣きたくもなる。

 そんな麻呂との神社生活はそれなりに充実している。
 麻呂を小脇に抱えていたことをおじさまにこっぴどく怒られたとしても。



「あれ? 麻呂、背伸びた?」
 いつの間にか麻呂の背が少しばかり伸びていた。いつも着ているロンパースが窮屈そうだ。
「ああ、このところ酒精をよく摂ったからな」
 聞いてみれば、麻呂の力の源は御神酒に宿る酒精だそうだ。酒精はアルコールのことではなくお酒の魂みたいなものらしい。

「もしかして、神宮とか大社とか関係なかった? 御神酒であればよかったの?」
「いや。力ある社の酒は酒精も強い」
 新酒の時期になり、奉納酒が大量に持ち込まれ、御神酒となったそれが毎晩麻呂の口に入る。当然私もご相伴に与る。酒のつまみは相変わらず揚げ出し豆腐と肉じゃがだ。この二つは外せない。
 ぽよんとしたお腹をゆらして子供用の椅子に座る麻呂は、子供用の箸を上品に使って嬉しそうに揚げ出し豆腐を口に入れた。はふはふと少し上向いて食べるその姿はカラスの頃と変わらない。元々細い目をさらに細めて心底おいしそうに食べる。それを見ただけで頑張って作る甲斐もあるってなものだ。
 時々おじさまたちも参加して、呑めや歌えやの大宴会となることもある。ただ、どうにもみんなの存在感が薄すぎて、いまいち盛り上がりに欠ける。そう思っているのは私だけのようで、みんなは楽しそうだ。

「もしかして、御神酒を飲み続けたら更に大きくなるの?」
「なるぞ。本来はそなたより二回りは大きい。今は戦い破れて力尽きているだけだ」
 力尽きるほどのディベートとは一体どんなディベートなのか。知りたいような知りたくないような。しかも一年経っても十センチメートルほどの力しか戻らないとは、どれだけ効率悪いのか。

「境内を歩くのも二十分もあれば終わっていた」
「それが今じゃ二時間だもんね」
 麻呂眉が心なしか下がって見える。溜め息なのかげっぷなのかよく分からない何かが口から漏れた。オヤジくさい。

「麻呂さ、大きくなるなら体鍛えるとかして、ちょっとそのぽよぽよのお腹なんとかすれば?」
「何を言うか。ここに力が溜まっているんだ。凹んだら困るだろう」
「あのさ、力が溜まろうがなんだろうが、お腹を引き締めた方がハーレムに一歩近付けると思うよ」
 細い目を見開いて目を輝かせる麻呂は、どこからどう見ても単なるスケベオヤジだ。でれっと鼻の下を伸ばした平安顔は、見るに堪えない。鴉のお嬢さんたちにとって何が魅力になるのかはわからないけれど、私的にはぽよぽよのお腹はナシだと思う。

「あとさ、麻呂眉もなんとかした方がいいよ」
「それもそうだな」
 テレビやネットで色んなことを吸収している麻呂は、さもありなんとばかりに頷いた。自分でも麻呂眉はイケてないとわかっていたらしい。
 あぐらをかき、腕を組み、眉を寄せ、麻呂は「うーむ」と唸りながら難しい顔になった。ちなみに今日のロンパースはミツバチだ。その組んだ短い腕がお腹の上に乗っていて滑稽だ。眉を寄せるといっても寄る眉は麻呂眉であり、これまた滑稽だ。

 むん、と言ったかどうかは定かではないものの、なにやら気合いの入った声を短く発した麻呂が、むむっと顔に力を入れているなと思ったら、にょきにょきと麻呂眉のすぐ下に眉毛が生えてきた。
 おお! と面白がって見ていると、麻呂がおしぼりを手に取り、麻呂眉をごしごしと擦り取った。ちょっとおでこが赤くなっている。
「どうだ?」
「うん。人並みになった」
 麻呂眉の平安顔から、ただの目が細いのっぺり顔になった麻呂は、一見普通のおっちゃんになった。ちびいけど。
 普通の眉毛になっただけで、少し若返った気がする。現代の麻呂眉はアホっぽいだけじゃなく老けても見えるという余計な知識が増えた。

「あれ? 背縮んだ?」
 つんつるてんになっていたミツバチロンパースがぴったりに戻っている。
「力を使ったからな」
 眉毛二つを生やす程度のことで、身長が十センチも縮むとは……なんともせつない。物語に登場する人外の中でも力の弱さは随一だ。
「麻呂って非力?」
 むっとした顔のミツバチ麻呂にスネを蹴られた。さして痛くもなかったから、やっぱり麻呂は非力なのだろう。非力の小太り中年オヤジの肩を、慰めるようにぽんぽんと叩いておいた。



 これが麻呂と「三千世界の鴉と出会い、いつしか麻呂の世話係」となった私の日常。

 そこそこ幸せに暮らしている。
 問題はこの職場に出会いが一切ないことだ。影の薄い人はたくさんいるけれど、影が薄すぎてほぼ出会えない。
 嫁に行けるだろうか。麻呂に嫁は来るだろうか。
 かなり切実。

posted on 19 October 2015

© iliilii