異世界人にのっかれ!
番外編異世界で元異世界人と放屁待ち
「こんにゃろー!」
心の中で「クソ女神!」を付け足しながら、普通の剣をなぎ払う。重い手応え。駄目押しの一撃をもういっちょ。
グギャー、と濁音だらけの悲鳴を上げたのは、巨大なトラとトカゲを足して割ったような悪趣味な魔生物だ。ヘドロ色の害獣がヘドロみたいな臭い血しぶきを上げてどうっと倒れた。
「ほれほれどんどんかかってきんしゃい!」
どこかで聞いたようなセリフを大声で叫ぶ。心の中では当然、このクソ女神! という罵倒も忘れない。絶対に口には出さないけど。
しーん、という文字が浮かび上がりそうなほどあたりは静まり返っている。聞こえてくるのはさわさわと微かな風に揺れる葉擦れの音だけ。ほぼ無音。
「あれ……もしかして今ので終わり?」
「終わりですね」
上から落ちてきた相棒の静かな声に周りをゆっくりと見渡すと、自分の周囲半径一メートル以外は血ヘドロと悪趣味な生き物たちの残骸で埋め尽くされていた。
「えー! これで終わり? えー!」
ひとしきり気が済むまで叫んだあと、手にした普通の剣を除菌タイプのウェットティッシュできれいに拭い、ベルトに引っ掛けた鞘におさめる。この普通の剣は特に手入れをしなくても刃こぼれもしなければ切れ味も変わらない。どれほど研ごうが、どれほどほったらかそうが、普通の切れ味は普通のまま。ちょっと普通じゃない普通の剣だ。魔剣でも勇者の剣でもない普通の剣。またの名をハズレの剣という。
『討伐区域の魔反応ゼロでぇす。一掃完了ぅ。お疲れさまでぇす。報酬確定しましたぁ。窓口までお越しくださぁい』
貸し出された無線機のような四角い物体が派手に点滅しながら、やたらと舌足らずで甲高い声を上げた。
「この声、無性にイラッとする」
大木の上からひらりと飛び降りてきた相棒が背後にぴったりと張り付く。ヘドロの中に降りたくないのはわかるけど、ちょっと近すぎやしませんか。
「ストレスは解消しましたか?」
「今のお疲れさまでぇすにイラッとするくらいはまだ残ってるかな」
クとソがつく女神に飛ばされた世界で害獣駆除を請け負った。
報酬は日本円にして約三百万。この世界の強者百人規模三日間の討伐を単身一日で終えてしまった。私ってばどんだけ強いのか。ちなみに相棒ならきっと半日で終わらせる。どんだけ強いんだか。
相棒が靴を汚さないよう使い捨てのシューズカバーを装着して、ヘドロの中から素材として登録されている部位を悪臭に顔をしかめながら集めていく。相変わらず手際がいい。牙とか角とか犬歯とか爪とか、これまた使い捨ての手袋を装着してざくざく切り取っていく。何度見てもサディスティックかつグロテスクな光景だ。
朝からお昼も食べずにずっと動き続けてきたせいでお腹はぺこぺこなのに、ヘドロ臭の中では食欲も湧かない。ウェストポーチから保冷ボトルを取り出してミネラルウォーターを一気飲みする。やっぱり日本の名水はおいしい。
「素材、いくらくらいになりそう?」
「大きいものだけで百五十万。小さいのを合わせると二百万ほどでしょうか」
異世界為替レートでクソ女神がきっちり一円単位まで換金してくれる。異世界為替レートってなにさ! と文句を言ったら高額手数料をぶん取られたので、それ以降は口を噤んでいる。異世界為替レート……異世界為替市場もあるのか?
「小さいのは面倒だからいいよ、どうせほら……」
言ったそばから相棒の腰にぶら下がっている無線機もどきがぺかぺか光った。
『お片付け希望者が百人を超えましたぁ。許可しますかぁ』
語尾を伸ばすな。くるっくるふわっふわな受付の女の子の顔が浮かぶ。きっとあの子の腹筋は割れていない。害獣をさっくり殺せたりもしない。いいなあ。女の子らしい女の子。
「十四歳以下で許可」
相棒の声に、承知しましたぁ、と間延びした声が続いた。
日本語に自動翻訳されているとはいえ、お片付け希望者とはよく言ったものだ。要するにおこぼれ希望者である。それでもこのヘドロの残骸を誰かが片付けないといけないのだから、小さな素材くらい分けてあげてくださいと暗に言われているも同然だ。どこの世界に行っても似たような仕組みがある。力ある者は力なき者を守る義務がある。義務を怠るとあとで必ずと言っていいほど別のかたちで報いを受けることになるのは世界共通だ。情けは人の為ならず。
体育座りでしばしの休憩を取っていると、大型獣の素材を粗方回収した相棒が半径一メートルの安全地帯に戻ってきた。シューズカバーと使い捨ての手袋、ウェットティッシュをその場で燃やす。一応燃やしても有害物質の出ない素材を持ち込んでいる。
日が暮れかけていた。木の枝に飛び移り、ヘドロ沼から猿のごとく待避する。
「ねえ」と私が話しかけると、「ん」と相棒は喉の奥を小さく鳴らした。
「いつも思うんだけど、私たちって必要なのかな?」
高級の部類に入る店に似つかわしくない風体はやたらと人目を引く。人を見かけで判断してはいけません。
害獣駆除を終え、受付でたんまりと報酬をいただいて、ホテルというよりは宿と言いたくなる宿泊施設で作業用つなぎに飛び散っていたヘドロと全身にこびり付いていたヘドロ臭を洗い流し、この世界に適した服に着替え、繁華街に繰り出す。
どこもかしこも勇者と聖女の噂で持ちきりだった。
食事に入ったのはこの界隈一の高級店だ。すでに何度か訪れ、毎回相方がケチらずチップをはずむおかげで、微妙なドレスコード違反も目を瞑って人目につかない席に人目につかないよう案内してくれる。
何を隠そう、噂の勇者と聖女は私の祖父母だ。害獣を生みだしている諸悪の根源を討伐するために別の世界から呼び出された正義の味方。ちなみに、その諸悪の根源は私の母だったりする。嬉々として父がゲーム感覚で考え出した悪趣味な生物を無秩序に製造しているに違いない。
なんだろう、このマッチポンプ感。
クソ女神曰く、世界のガス抜きなのだとか。だったら自分で抜け。なぜ異世界の屁を我が家総出で出してやらねばならん。クソ女神に理屈は通用しない。クソ女神は屁理屈しか言わない。だからガス抜きなのか。そうなのか。
「この世界の人間では駆除しきれませんから仕方ありません」
「そこはほら、お父さんとお母さんに世界レベルに合わせろって言えばいい話じゃないの?」
「言って聞くと思いますか?」
「思わないけど……でもさあ……」
祖父母は世界中からちやほやされ、両親はここぞとばかりにやりたい放題好き勝手に振る舞い、なぜ私たちだけがわざわざ別の世界に来てまで日銭を稼ぎながら、縁もゆかりもない世界の放屁を待たねばならないのか。
「あなたが普通の剣を選んだ結果です」
「わかってるけどさー。おおっ、このエビチリもどきおいしいね」
慌てて話題を変えたところで相棒の表情はこれっぽっちも動かない。にっこり笑えばもっとかっこいいのに。
「たまにはペア変えてってお願いしてみる?」
私というハズレ剣を引いたお荷物の護衛を押し付けられた相棒には、常々申し訳ないと思っている。
「あなたより弱い護衛をあなたのご両親がお許しになるとは思いませんが」
「誰のせいでこんなに強くなったと思ってんの!」
いつの間にか相棒以外の元異世界人たちよりも強くなっていた私の惨めさは、母の高笑いに吹き飛ばされた。
「おや。魔生物に襲われてめっためたにされた挙げ句死ねない苦痛を味わいたかったのですか?」
ドヤ顔のクソ女神が言うには、彼女の加護はクッソ強力で、たとえ首を跳ね飛ばされたとしても死なないらしい。試したことはない。試そうとも思わない。試そうとすんなよ、クソ女神。
「それとも、その辺の悪党に拐かされてあらゆる尊厳をめっためたに踏みにじられた挙げ句にぽいっと捨てられたかったとでも? まさかとは思いますが、金と暇を持て余した変態に拐かされて四肢を切り落とされた挙げ句に内臓掻き出されたかったとか?」
相棒の冷ややかな視線に全身が粟立つ。最強の魔生物よりも相棒の方が百万倍怖い。
「鍛えてくれてありがとう!」
その代わり、相棒にめっためたにされてきた、とは口が裂けても言えない。くっきりばっきり割れた腹筋が虚しい。
異世界デビューしたばかりの私を襲った強姦未遂や人体実験未遂事件からは、いずれも相棒によって無傷で救い出されている。あとになって自分が何をされそうになっていたのかを聞いた私は、相棒に慰められながらめそめそ泣いたものだ。あのときの私の弱々しさと相棒の優しさはどこにいったのだろう。
三度目に普通の剣を掏られそうになったところで相棒は恐ろしいほど静かに言った。「自分の身くらい自分で守れるようにしてください」と。血が滲むような、という表現は比喩ではない。実際に血が滲むどころかだらだら垂れ流しながら鍛えに鍛え抜かれた。このくらいじゃ死にません。相棒の常套句だ。女の子に向かって言う言葉じゃない! と一度ブチ切れたら、鼻で笑われた挙げ句、身も心も凍り付くような蔑みの視線を頂戴した。くそう。
「たまには優しくしてよ」
白ワインに酸味を加えて炭酸水で割ったような飲み物をちびちび舐めながら、ついうっかり漏らしてしまった。時の流れが違う別の世界に来る度に精神年齢ばかりが積み上がり、体脂肪はどんどん落ちていく。こないだ恐る恐る体重計に乗ったら体脂肪が一桁前半でさめざめ泣いた。女の子の柔らかさどこいった?
「いいんですか?」
それまで無表情だった相棒の目がゆっくりと細められていく。あ、やば。
「うそ。ごめん。取り消す。今のままでいい」
危ない危ない。この男が本気を出したら、間違いなく絡め取られる。怖。
「遠慮しなくてもいいんですよ」
「遠慮はしてないよ。もうちょっとこのままでいいかなーって思ってるだけ」
「今更逃げられないのに」
「そういうこと言わないでくれる? 別に逃げようとも思ってないから」
この男からは逃げられない。もうとっくにわかっている。
いつの間にか私は、この男以外がパーソナルスペースに侵入した途端、無意識に突き飛ばす、もしくは蹴り飛ばす、ときには投げ飛ばすようになっていた。私の骨髄反射を魔改造した相棒は、ぶっ飛ばされた元異世界の国王を助け起こしながら、それはもうにこやかに笑っていたのだ! 母は言うまでもなく高笑いして、これなら安心ね、と相棒を褒めちぎっていた。意味がわからない。わかりたくもない。
気が付いたときには、お互いを守れるのはお互いだけ、という完璧に仕立て上げられたこの関係。
「ねえ」
「ん」
ゆったりと流れるような美しい所作で食事をする相棒を眺めながら思う。この「ん」を聞くと心がゆるむようになったのはいつからだろう。
「私の肉体年齢が三十になる頃、精神年齢って何歳になってると思う?」
「今のペースだとざっと千歳ほどでしょうか」
それまでにどれだけこの「ん」を聞くことになるのだろう。
結局、絆されてるんだよなあ、と優雅に食事を続ける相棒の美貌を眺め、この男の髪の毛どころか眉毛もスネ毛も、見たことなかったけどおそらく鼻毛や耳毛やその他諸々の毛もかつては黄緑だったことを思い出しながら、スプリッツアーをちびりと舐めた。