ゆめのそのさき
第四話


 予定通り、あの街を出発して五日目、まだ日も高いうちに王都に到着し、そのままリカルドの屋敷に連れて来られた。

 てっきりエミリアの屋敷でお世話になるものだと思っていたら、エミリアは今、リカルドの屋敷に滞在しているらしい。私も同じようにリカルドの屋敷にお世話になると聞き、それではリカルドの婚約者に悪いと慌てて断れば、私より五つほど年上のリカルドに婚約者はいないと聞いて驚いた。
 ここではリカルドの年齢であれば妻や婚約者がいるのは当たり前だ。ましてや身分のある人なら尚のこと。話の節々から未婚であることは伝わってきていたけれど、婚約者までもがいないとは思わなかった。
「政略結婚がどうしても嫌でね。爵位を継がず聖騎士になった。聖騎士でいる限りは独身でもおかしくないだろう?」
 教会関係者だと思っていたけれど、聖騎士だとは思わなかった。驚く私に、リカルドの方が驚いた。
「出会ったときの服装で気付かなかった?」
 聖騎士は教会騎士の上位職だ。警察でたとえるなら要人警護のようなものだろうか。エルザにはまるで関わりのない人たちだからか、その制服はおろか、存在すら目にしたことはない。聖騎士であれば独身を通せることなどまるで知らない。

 リカルドの父親、あの領主が治めていた領地は、妾の子が継ぐのだそうだ。それよりも、エミリアの実家の公爵家を継ぐよう言われている方が面倒なのだとか。

 エミリアは公爵家の一人娘で、当時武功を上げたあの領主に望まれ、王命によって嫁いだらしい。ところがふたを開けてみれば、実際に武功を上げたのは彼の部下であり、その部下の手柄を彼が横取りしていたことがわかり、これ幸いとエミリアは実家に戻っていたそうだ。貴族社会では政略結婚後、妻が実家に戻るのはよくあることらしく、特に問題にもならなかったとか。
 ところがその時には既にリカルドを授かっており、最近まであの領主はリカルドは自分の息子だからと、エミリアとリカルドの背後にある公爵家の財産にまで手をだそうとして、公爵家の怒りに触れ、エミリアとは正式に離縁、リカルド自らがその父親を処分してきたらしい。あの領主は隠居が決まったとか。

 馬車の中、酔いを紛らわすために聞いたのは、そんな事情だった。貴族同士のアレコレはよくわからないけれど、エミリアが本物のお姫様だったことに納得した。公爵家といえば王家の血縁だ。リカルドも王子様だ。
 そのエミリアは、公爵家の堅苦しさが嫌でリカルドのところにちょくちょく逃げてくるらしい。離縁が決まった途端、どこで漏れたのか山のように舞い込んできた再婚話にうんざりし逃亡。秩序を重んじる公爵家では、エマと一緒にのんびりお茶ができないことも不満らしい。



 リカルドの屋敷に滞在するのは、思っていた以上に穏やかで楽しいものだった。
 居間と寝室、浴場のあるその客室はとても日当たりがいい。専用の小さな庭までついており、どこにも繋がっていない小さな楽園で一人の時間を自由に過ごすことができる。おそらくエマが提案してくれたのだろう、その心遣いに嬉しくなった。
 子供の頃におかしな体験をしたからか、私は一人で居ることが苦痛ではなく、むしろ一人を好んだ。仲のいい友達と一緒にいるのも楽しいが、一人の時間をそれ以上に大切にした。
 そんな私を理解してくれる友達が、ほんの一握りだけいる。きっと眠り続ける私は、彼女たちにも心配を掛けているのだろう。

 リカルドの屋敷には最低限の人しかいない。リカルドの執事と侍従が一人ずつ、その二人の妻でもある侍女が二人、料理人が一人。屋敷に住んでいるのはこれだけだ。他に通いで下男と下女が二人ずつ、料理人の弟子が一人。屋敷の大きさに対しあまりに少ない人数に驚くと、あまり人が多くいるのはリカルドが落ち着かないのだそうだ。人数が少ない分、気心も知れて心地いいと、公爵家の跡取りとは思えないことを言っていた。
 防犯面で大丈夫なのかと心配すれば、聖騎士の家を襲う間抜けはいないと笑われてしまう。

 エルザは彼女が住む街から出たことはない。大抵の平民なんてそんなものだろう。唯一出たのは隣町の領主の館に向かうためだけだ。あの日、箱馬車の中から見たガライ広場の様子があまりにも自分の住む町の広場と違い、状況も忘れてひどく驚いた記憶がある。
 そもそも、エルザの住む町には聖騎士どころか兵士もいない。



 ただお世話になるだけでは気詰まりだからと、時々広すぎる屋敷の掃除を手伝ったり、料理を手伝ったりもしている。
 最初は手伝いなどとんでもないと断られていたものの、リカルドとエミリア、エマのとりなしのおかげで、今では手が空いていたら手伝って欲しいと頼まれるほどになった。
 特に恰幅のいいよく笑う陽気な料理人は、私の知る料理に興味があるようで、暇さえあれば厨房に顔を出すようにしている。
 この屋敷にいる男の人たちは、不用意に私に触れない。その気遣いを知り、エマが何か言ってくれたのだろうと感謝を伝えると、静かに笑って頷いてくれた。エマの母のような温かさには本当に救われる。



 リカルドの聖騎士という仕事は二交代制らしい。日勤が三日続いて一日休み、夜勤が二日続いて二日休む。その繰り返しらしい。
 その休みの度に、リカルドは私を屋敷から連れ出し、王都を案内してくれる。

 エルザの記憶がある私は、ここでの会話には不自由しないものの、文字は簡単なものしか読めない。エルザは簡単な読み書きしかできなかった。とはいえ、ここではそれが普通で、きっちりと読み書きを学べる女性など、貴族のお嬢様くらいだ。

 ゆっくりと石畳みの街を歩きながら、看板に書かれた文字を見ては、その意味をリカルドに訊きながら、ひとつひとつ学んでいく。
「あれは……んーっと、お花屋さん?」
「そうそう、だいぶ憶えてきたね」
「まだわからない言葉の方が多くて情けないですけど」
「そんなことはない。アリサは随分と上達が早い」
「そうだといいんですけど……」
 眩しいほどの笑顔で褒められ、顔に熱が集まる。思わず恥ずかしくなって俯くと、「ほら、前を見ていないと危ない」と、手を取られ握られた。恥ずかしいのか、嬉しいのか。戸惑うようでいて、安心するような、色んな感情が浮かんでは消える。

 頭の中に色んな思いを浮かべながら、リカルドに手を引かれて歩いていると、通りの向こうにいる女性たちからの視線が突き刺さる。馬車道を挟んでいるから気付かないとでも思っているのか、距離があっても鋭く突き刺さってくる視線は正直怖い。
 知らず体が強ばり、リカルドと繋がる手にも力が入る。知らせようとしたつもりはないのに、それによって状況を理解したリカルドが、そっと身を寄せて通りの向こうからの視線を遮ってくれた。
 すごく有難い。有難いけれど近すぎる。触れるほどに近くにいることが恥ずかしすぎて、俯いたまま顔を上げられない。
 そんな私の様子が面白いのか、隣からくつくつと小さな笑い声が聞こえてきた。
「笑うなんてひどい……」
 小さな声で不満を漏らせば、一層その笑みが深まり、握られた手に力が込められる。
「アリサは可愛いなぁと思って」
 そう子供扱いする。
 ここでは手を繋いで歩く事も、可愛いという言葉も、子供に対するものだ。
 リカルドと出掛ける度に、若い女性に睨まれることも、リカルドに子供扱いされることもよくあった。その度に落ち込んでしまう私は、それだけリカルドを男性として意識しているのだろう。



「お休みの度に私に付き合ってくれなくてもいいですよ」
 休みの度に王都を案内してくれるリカルドに、次第に申し訳なさを感じるようになった。一緒に出掛けている間は楽しいことが多いからか、いつ戻れるかわからない不安が薄れる。
「アリサがいつ目覚めて、いつここから居なくなるかわからないだろう? 居る間はできるだけ一緒にいたい」
 返されたリカルドの言葉に、終わりがあるからこそなのかと、小さく胸に感じた痛みを誤魔化して納得する。終わりがあるからこそ優しくもできるし、かまいたくもなるのだろう。
 実際に私も、いつ戻るかわからないからこそ、今を精一杯楽しもうとしている。終わりがあるからこそ、普段は見落としがちな小さな優しさにまで気付いて感謝できる。
 きっとリカルドに感じている、この恋のような感情も、終わりがあるからこそなのかもしれない。二度と会えないとわかっているからこそなのかも。
「それなら、ここにいる間はリカルドを思いっきり独り占めしてもいい?」
 なるべく軽く聞こえるようにそう言えば、リカルドは笑いながら「いいよ」と返してくれた。
 一度覚悟を決めるといくらでも大胆になれた。初めは手を繋いだだけで照れていたくせに、腕を組むことも、指を絡めて手を繋ぐことも、恥ずかしながらもできるようになった。

 期間限定の恋人ごっこ。

 少なくとも私は、そう思うことで気持ちにひとつの区切りをつけた。



 二人で出掛けていると、時々リカルドの知り合いに出会うこともある。
「おっ! 君が噂の子猫ちゃんかい?」
 そう声をかけてきたのは、リカルドの仕事仲間で同じ聖騎士のオスカルだと紹介された。
 リカルドより背の高い、がっしりとしたオスカルは、少しだけ強面の男らしい印象だ。リカルドと同じであの嫌な感じがしない。聖騎士という存在だからなのかもしれない。
「子猫ちゃん?」
 思わずリカルドを見て首をかしげると、オスカルから「なるほどなぁ」という呟きが聞こえた。
「これは自慢したくなるな」
「余計な事言うなよ、オスカル」
「お嬢さん、今度聖騎士の訓練所に差し入れ持って見学にきてくれよ」
「差し入れ持って行けば、見学に行ってもいいの?」
「オスカル、見回り中だろ!」
「ああ是非来てくれ。待っているからな! 約束だぞ!」
 リカルドに追い払われながら、オスカルが大声で叫んでいる。周りから何事かと注目されてかなり恥ずかしい。
 仕事に戻るオスカルの後ろ姿を、リカルドが渋い顔をしながらどこか睨むように見ていた。私のような世間知らずの子供が、のこのこと仕事場に差し入れを持って行くのを良く思わないのだろう。日本でだって会社に知り合いの子供がのこのこやってくるようなことはないはずだ。
 あとでこっそり差し入れの仕方をエマに相談しよう。

 屋敷に戻り、早速エマにこっそり相談すると、軽食を差し入れると喜ばれると言う。なるほど、訓練所ということは、体を動かしているのだろう。聖騎士の訓練所の受付に差し入れを持って行くと、ちゃんと受け取ってくれ、面会の許可があれば、差し入れを直接騎士に渡せるとか。

 翌日、料理人のラロとその弟子のピオに手伝って貰って、軽食を用意する。
 訓練場にはエマが付いてきてくれることになっている。エマから聞いたエミリアまで厨房に顔を出して、お姫様らしからぬお茶目さで楽しそうに摘まみ食いをしていた。
 用意して貰った三つの大きなバスケットに出来上がった軽食を詰め、報告を楽しみにしていると言うエミリアを始め、屋敷のみんなに見送られ、エマと一緒に馬車で訓練場に向かう。

 訓練場の受付で、エマがリカルドの家名を名乗り、私の名前と、リカルドとオスカルへの差し入れであることを告げると、そのまま訓練場の中に通された。
「面会の予約なんてしてないはずなんだけど……」
「おそらく、リカルド様の家名と、オスカル様だからでしょうか。オスカル様もそれなりの身分の方ですから」
 それなりの身分って何だろう。おそらく貴族なのは間違いない。粗相の無いようにしなければ。

 いくつもの廊下を曲がりながら案内の人に付いていくと、野太い声が響く体育館のような場所にたどり着いた。
「こちらで少々お待ちください」
 案内の人に入り口で止められ、たくさんの人たちが剣のようなものを使って訓練している間を、彼は時々身をよじりながら進み、オスカルを呼んできてくれた。
「おお! 子猫ちゃん! さっそく差し入れに来てくれたのか!」
 オスカルの大きな声に、それまで聞こえていた野太い声がぴたりと止み、訓練中の人たちに思いっきり注目されてしまう。その視線の鋭さに思わずエマの後ろに隠れようとして、駆けつけるリカルドが目に入り、思わずこちらからも駆け寄ってしまう。
「あの、リカルド、あの……」
「ああ、差し入れを持ってきてくれたのだろ?」
 思わずリカルドの影に隠れ、リカルドを盾にして周りの視線から逃れる。そんな私の様子を見て、いつものようにリカルドが小さく笑った。
「ほら、俺の執務室に行こう。オスカル、エマの荷物を持ってやれ」
 リカルドが私の持っていたバスケットをひょいと取り上げ、私の手を取り歩き出す。
「急に来てごめんなさい。でもいつ居なくなるかわからなかったから……」
「いや。きっとアリサは来るだろうと思って、面会の許可を出しておいた。オスカルに約束だって言われたからだろう?」
 リカルドの言葉に驚いて、思わず立ち止まる。
「アリサが約束を大切に思っているのはわかっている」
 その言葉に思わず嬉しくなって、頬が綻ぶ。

 エルザの記憶の影響だろうか、私は約束をどんなことをしても守ろうとしてしまう。
 婚約者との結婚の約束を守れず、純潔を散らしてしまったエルザは、最後まで婚約者に申し訳ないと思っていた。
 私なら、あの時エルザだけを選ばなかった婚約者の優柔不断さに腹が立つ。あれは優しさじゃないと思う。

「ありがとう」
 お礼を言えば、リカルドが柔らかな笑みをくれた。
「ほら、行くよ」
 そう促されて、まだ訓練場を出ていなかったことに気づき、急ぎ足でリカルドの執務室に向かおうとすれば、「そんなに急がなくてもいい」と再び笑われる。
「あっ、でもたくさん作ってきたの。皆さんで食べられるように」
「なら、あとで皆にも分けよう。ほら、ここが俺の執務室だ」
 辿り着いたのはシンプルだが重厚な扉の前。リカルドは軽々とそれ開けて中に促してくれる。
 奥に大きな机と本棚、手前にソファーとテーブル。家具は全て焦げ茶で、全体的に黒っぽく、シンプルを通り越して殺風景なほどだった。

 中に一人若い騎士さんが居て、リカルド付きだと紹介された。
「リカルドの部屋は何もないだろう?」
 後から続いて部屋に入ってきたオスカルが呆れたように言う。必要なものだけが揃っているだろうその部屋は、殺風景ながら余計な物が目に入らず、どこか落ち着きのようなものを感じる。
 一見煌びやかな印象のリカルドは、実はものすごくシンプルが好きで無駄を嫌う。だからお屋敷にも必要最低限の人しかいないし、お屋敷の装飾もシンプルだ。シンプルながら質のいいものだけを選んでいるという印象だった。
「でも……リカルドっぽいですよね」
 思わずそう言えば、オスカルは驚いた顔をしていた。何に驚いているのかわからず、リカルドに目を向ければ、彼は彼で満足そうな顔をしている。二人の表情の意味がよくわからず首を傾げてしまう。
「なるほど……」
 そう言ってオスカルは訳知り顔でにやにやしだした。

 エマがテーブルにバスケットを置き、その蓋を開けると、照り焼きの香りがふわっと漂う。
「ん? なんだ? えらく旨そうな匂いだな」
 にやにや笑いを引っ込めたオスカルが、エマの開けたバスケットをのぞき込む。中なら照り焼きの串をつまみ、一口食べると唸った。
「このソース、ものすごく旨いな!」
「本当ですか? よかったぁ。お口に合うか心配だったんです」
「これ、お嬢さんが作ったのか?」
「はい。皆に手伝ってもらいましたが。あとこれも食べてみてください」
 そう言ってフライドポテトを勧めると、「これも旨い」と次々と口に放り込んでいる。
 いつの間にかエマがそれぞれにお茶を配り終わり、残りのバスケットをリカルド付きの若い騎士さんに「皆さんで」と渡している。
 頷くリカルドを見た若い騎士さんは、バスケットを持って扉の外に出て行った。

「エマも自分のお茶を入れて座って」
 リカルドはそう言うと自分も座り、バスケットに手を伸ばす。照り焼きの串をつまみ、一口食べるとオスカルと同じように唸った。
「本当に旨いな、これ。このソースはなんだ?」
「照り焼きソースです。本当はこれとはもうちょっと違う味なんですが、香りだけは一緒です。ラロに相談しながら作ったから、実際にどんなスパイスを使ったのかはラロに訊かないとわかりませんが……」
「なるほど、アリサの故郷の味か」
「この芋を揚げたのも旨いな」
 オスカルの言葉に、フライドポテトだと教える。ただジャガイモに似たパタ芋をカットして油で揚げ、塩を振っただけだと言うと驚いていた。細切りにしたり、くし切りにしたり、薄くスライスしたり、色んな形のものがあることを説明する。
「これは直ぐに真似できそうだな。帰ったら早速作らせよう」
「塩以外にも、色んなスパイスで試してみてください。私は胡椒も好きです」
「お嬢さんは、裕福な家の子なのだな」
「え?」
「スパイスや油を惜しげもなく使えるのは、そういうことだろう?」
 言われてみればそうだ。エルザのいたところでは油どころか塩すら貴重なものだった。リカルドの屋敷だからこそ、当たり前のように私の知るスパイスが揃っていたことに、ようやく気付いた。
「オスカル、彼女は予言の子だ」
「なっ! そうなのか! はーぁ、そういうことか」
 神妙なリカルドの言葉に、オスカルが目を見開き、その大きな体をソファーの背に倒した。
「予言の子?」
 何のことかと思わず口走る。
「ほら、お告げがあったって言っただろう? 『七つになりて前世を知り、娘となりてこの地に降り、我らとひと時の交わりを持つ』、これは神殿の巫女に降りたお告げだったゆえに、誰もが知っている」
 リカルドの説明に頷いていると、ふとそのリカルドの視線がオスカルに移った。
「オスカル、誰にも言うなよ。アリサは視線に怯える」
「ああ、わかった。これだけ旨い差し入れをもらったからな」
 オスカルがばちんと片目を瞑った。